毎日ちょっとずつ自動で書きつづける詩を 14 万円で販売します

2017 年 5 月 23 日から、毎晩 0 時に、その日に歩いた歩数を数えてる。これは、ぼくの腕につけた Fitbit という歩数計Bluetooth で接続したスマートフォンに歩数を送信したあと、 IFTTT というウェブサービスを経由して Heroku で動作するサーバーの API に post する仕組みになっていて、このピタゴラスイッチみたいなシステムがうまく作動しているかぎり、ずっと、無料で、ぼくが歩いた歩数を数えつづけてくれる。数えた歩数は、ぼくの Twitter アカウントでツイートするほかにデータベースにも保存されていて、 ウェブページ にアクセスすると文章のかたちで読めるようにしてある。ぼくは、この文章を詩と呼ぶことにした。だから、これは歩数を数えるシステムではなく、ぼくが歩いたという事実をもとにして、毎日ちょっとずつ自動で詩を書きつづけている… ということになっている。

歩くことは、どこかへ移動することで、その移動には理由がある。歩数は、ただの数字のように見えて、 1 歩ずつに意思がある。歩くことは、誰にとっても実感できる物語で、歩くことを記録することは、物語を語ることになるのではないかと思ったのだ。

2017 年のインターネットは、お金の話で盛り上がることが多かったように思う。メルカリや CASH を利用して、いらないものを売って現金を受け取る。仮想通貨を売買して利益を得る。ディスプレイにうつるお金の額面は、ただの数字のように見えて、目の前にあるものの価値や、これから手に入れるものの価値を示している。そのときに気がつくのは、ものを手放すことへの対価のお金と、ものを手に入れるために必要なお金が異なるということだ。ものの価値と価格は、じつは等価ではない。お金に価値があるわけではなく、お金は価値を扱うためのインターフェースでしかない。技術がお金を扱えば FinTech なのではなく、目に見えないものをどうすれば触ることができるのか?という話が FinTech なのではないだろうか。

お金は、誰もが持っていて、誰にとっても実感できる物語だ。人から人の手に渡って、語り継がれる物語だ。ぼくは、こんなふうに時間や空間を超えて、別々のものが重なって見えてしまうことこそが、インターネットなんだと思う。 2017 年はずっと、もういちどインターネットがはじまったような気さえしていたんです。

そんなわけで(?)、きょうご紹介した毎晩 0 時にちょっとずつ自動で書きつづける詩を、このたび販売します。価格は 145,614 円です。 5 月 23 日から 12 月 1 日までの歩数を数えると 1,456,140 歩だったので、 1 歩 0.1 円として価格をつけてみました。お買い上げいただくと、ぼくが腕につけている Fitbit と、 APIソースコード、 IFTTT のレシピ、これまで書きためた詩の著作権を譲渡します。エディションはひとつ。ご興味がありましたら、 Twitter の DM などでご連絡ください。

この記事は 2017 Advent Calendar 2017 第 2 日目の記事として書かれました。きのうは taizooo さん でした。あしたは youkoseki さんです。

インターネットをさがして ─映画『渚の鉄槌』に寄せて─

インターネットが、いままで出会ったことのない知らない誰かと出会うことができる道具なのだとしたら、映画『渚の鉄槌』はまぎれもなくインターネットである。いつか見たカンフー映画を再現しながら、あきらかに日本の風景のなかで、あきらかに日本の若者たちが、ひとつの車で旅をする。その旅は、ただの親しい友達との旅行なのかもしれないし、どうすれば映画を撮ることかできるのかを試みる旅なのかもしれないけど、僕たちはこの映画を観ることによって、この(京都ナンバーの)車に5人目として乗り込んで、揺れる手持ちのカメラの目線を通して、見知らぬ楽しそうな若者たちと、いっしょに青春を送ることができるのだ。

僕が働いている会社の同僚の、この映画を監督した石飛くんの話によると、撮影するときには適当にカンフー映画っぽい言葉をしゃべって、あとから字幕をつけることによって物語を構成していったという。このプロセスを聞いたとき、衝撃を受けた。それってつまり、撮影された映像から、石飛くんが考える「映画」を見つける作業だったのではないだろうか。石飛くんは映像を編集するプロセスで培った「映画」を見つけるまなざしで、同じ会社で働いていたというのだろうか。なんと恐ろしいことなんだろう。隣に座る人が、自分と変わらない日常の風景を「映画」として観ていたなんて。

やがて、石飛くんがこの映像を編集したときと同じように、インターネットをすることは「インターネット」を見つけることなのかもしれないなぁ… と思った。高速で通信しあいながら、僕たちはいつも誰かと出会っている。そのことに、どうすれば気づくことができるのだろう。そして、そうやって、どうすれば「インターネット」を見つけることができるのかを試みる旅こそが、インターネットなのかもしれないと。

ボット化するわたしたち

インターネットの特徴のひとつは、人間とロボットが一緒に生活しているということだ。文字を介してコミュニケーションする前提の世界では、文字を書いた人が誰かもわからないし、そもそも人間なのかもわからない(自動でテキストを生成しつづける機械かもしれない)。そんな人間とロボットが混在する世界で(人間でもロボットでもどっちでもいいじゃんという価値観のなかで)、これまでロボットが人間を再現してきたように、人間がロボットの真似をすることも多くなってきたように思う。

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@_gasyadokuro さんは僕が働いている会社の先輩だけど、夜にこんなツイートをする。

このツイートの内容自体はまあそういうことかという感じ(よくあるツイート)だけど、問題はこのツイートと同じツイートが不定期に何度も投稿されていることにある。

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平日の昼間とかもあるし…。というか、ほとんど業務時間中なのではないか。どういう意図なのか同じ会社だから聞けばいいと思うんだけど、聞いたらいけないような気がする。ふざけてるならいいけど、もし人間じゃなかったら…。

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同じように、知り合いの現代美術作家の @michaan さんも、「登山」というだけのツイートを以前から頻繁に投稿している。

僕は @michaan さんの職場を知っているので、この「登山」というのは「山みたいに自然が豊かな職場に出勤」しているのかなと解釈しているけど、本当は違うのかもしれないし、意味がないのかもしれない。しかし、もしこの「登山」が出勤を意味していたとして、出勤したら Twitter に投稿するというルールに沿って行動しているなら、この @michaan さんがロボットであるということも言えないことはないのではないか、と考えるようになった。ロボットをあるアルゴリズムのもとに一定の行動を繰り返す存在だとするなら、会社員として働く僕たちはロボットと何が違うんだろう。

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現代美術作家・小学校教員の @yuuuuuuuuuuuuuu さんという人も、以下のようなツイートを繰り返している。

これはフレームワークである。つまり◎◎前という駅名で、プラットフォームが地下にあればこのツイートができるのだ。

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@saeko さんは、IFTTT というウェブサービスを利用して、いつからか Twitter を退会するときのためのページの URL を1日に2〜3回のペースでツイートするようになった。どうしてそういうことをしているのかわからないけど、たまにタイムラインで見かけて短縮 URL をクリックすると Twitter を退会するページを表示させられるのはすごくエキサイティングな体験だと思う。

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人間がロボットに近づいている事例の先駆けとしては、@youpy さんの「新しいMacBook Airすごい」が挙げられると思う。URL をクリックすると IFTTT のレシピのページが表示されて、Add ボタンをクリックすることで自分の Twitter アカウントでも定期的に「新しいMacBook Airすごい」とツイートできるようになる。ウイルスに感染するように、ワンクリックで、自分もロボットに近づくことができる。

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こういった事例に触れるたびに、僕もロボットになってみたいという気持ちが強くなっていき、いろいろ試行錯誤した結果「家中の照明が点灯し暖房(夏場は冷房)がつけっぱなしのまま布団で気絶してた」という言葉に落ち着いた。2015年2月12日から毎朝7時にツイートするように IFTTT で設定していて、ロボットになりはじめた当初は会社で「電気代大丈夫?」と心配されることもあったけど、いまでは誰からもなにも言われなくなり、この調子ですこしずつロボットの投稿を増やしていって、いつか誰も知らないあいだに bot にすりかわっていられたらかっこいいと思う。

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最後に、ウェブデザイナー萩原俊矢さん のツイートを引用させていただきたいと思います。

目に見える詩

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詩っぴつ中」は、詩人・小説家の最果タヒさんが、詩を書いている様子を撮影した画面のキャプチャ画像を GIF アニメーションにしたものを Tumblr へ投稿したときにつけているタグ。Web Designing という雑誌の「詩句ハック」という連載のなかで発表された作品で、スクリーンセーバー も配布されている。このほかにも TENORI-ON の要領で詩の文字から音楽を生成する「詩ーケンサー」や、詩の文字をインベーダーゲームのインベーダーに見立てて詩を撃ち殺すゲーム「詩ューティング」も公開されている。僕は、絵文字の詩 が好きです。

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ヌケメ帽」は、ヌケメさんという方が、辺口芳典さんという方からもらった言葉を刺繍した帽子。ヌケメさんの Tumblr には、いろんな人が着用した写真が掲載されている。きゃりーぱみゅぱみゅのスタイリストが、クイーンになれるのはファンシーなものだけ というヌケメ帽を被っていておもしろかった。

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匿名で質問ができるウェブサービス Ask.fm の @nasino__ さんのアカウントには、恋愛やセックスなど他の人には相談しづらいような悩みが寄せられていて、なしのさんという女の子がひとつずつ回答している。このウェブサービスを見ていて気になるのは、質問に回答したところで、回答した人には質問した人から何のリアクションもないように作られているところだ。もしかして質問した人は、なしのさんに相談するという体で、匿名で悩みを書くことができる場所を得て、気が楽になっているんじゃないか。誰かに伝えると見せかけて、自分のためにある言葉。そんな詩たちへのなしのさんの返事は、いつもやさしい。

インターネットの食事

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他人の食事」は、とある和食店で働いているおかみさんの日記。おかみさんの文体が、いつもユーモアに富んでいておもしろい。また、ときおり紹介される栄養学者の 川島四郎 や旧日本軍の 横井庄一 の異常なエピソードも、どれも食べることへの愛が感じられて、かわいい。写真もおいしそうだし、ぜひお店へ行ってみたいのに、場所はどこにも書いていない。

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お料理速報」は、2ちゃんねるの食べることや料理に関する書き込みをまとめているブログ。食べ方あるある、地域による食文化、嫁の料理、二郎、200円弁当、プライベートブランド、いまから料理を作るよ… こんなことまでトピックにできるのかと思うような、細分化された食事の話がつまっている。いや、逆だ。ここには、食べることをおかずにした、コミュニケーションのための食事があるんだ。

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hitode909の日記」は、hitode909 さんという方の日記。この日記の恒常的な異常性はともかく、ここでは 2012年3月20日の日記 を引用させていただきたいと思います。

話題,だんだん減っていって,食べたものと夢の話だけになると思う.

彼方からの手紙

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BACONTEXT」は、靴下を販売したり、洗濯機に石を投げ込む YouTube 動画を再生する Chrome 拡張 を公開したりしている、いったいなんなのかよくわからない BACON という団体の Tumblr にひっそりとある、エミネム最高さんという人が書いた旅行日記。写真の縦横比がめちゃくちゃなページのなかに、ドイツで靴下を買った話とか、モロッコの団地でスネア連打しまくるラップを聴いた話とか、あきらかに自分が行ったことのない場所から見た景色の話が延々と書かれている。

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長野美郷さん」は、アナウンサーの長野美郷さんが出演しているテレビ画面のキャプチャ画像がアップロードされつづけているブログ。2009年からはじまっているこの行為について、いったいどういうモチベーションで運営しているんだろう、キャプチャ画像として切り取るフレームを決める基準はどこにあるんだろうと思う。いつも同じようにぼんやり見ているテレビ画面のなかにだって、自分が行ったことのない場所から見た景色がある。

物語のはじまり

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oqunoのgirls talk log は、oquno さんという方が、おそらく街で偶然聞いてしまった女の子同士の会話からひとことだけ抜き出して公開しているブログ。前後の文脈や話してる人たちの関係性がわからないまま、ただ言葉だけを抜き出して見たときに、言葉を読んだ人それぞれのなかで物語がはじまる。Kindle 版 もあります。

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ATR音素バランス503文 (@ATR503_bot) は、自然言語処理の研究で用いられる、できるだけ少ない語数・文数で多くの 音素 を含む 音素バランス文 という、その文自体には意味のない例文をツイートしつづける bot。これもまた、文脈のない言葉によって、物語がはじまってしまう例だと思う。

日記を書くこと

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日刊ハトさん」は、はとのくそ(ハンドルネーム) さんが、ほぼ日手帳やメモ帳に書いた日記を撮影した写真をアップロードしている Tumblr。目の前のできごとを冷静に観察するまなざしや、ごはんがおいしそうな素敵なイラストもすごいけど、なによりもここまで自分の気持ちを書けてしまうんだ、という文章の正直さに胸をうたれる。文字が手書きだというのも、書体に整形されていない言葉が見えるような気がしてしまう。同じ日を一緒に過ごした人たちの似顔絵には、その人たちへの愛情が感じられるし、写真にうつりこんだ手帳を持つ指先を見ると、インターネットの向こうにちゃんと人がいるんだなあという不思議な感覚がある。はとのくそさんは実は同じ会社で顔をあわせて働いている方なんだけど、それでもそう思ってしまう。

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自分が書かなければおそらく誰かが書く日記」は、匿名で日記を書くことができる、誰かが作ったウェブサービス。1日にひとつの日記しか書けず、さらに明日の0時をまわるまでは誰でも編集することができる。だから、いま読んでいる日記は数時間後に消えてしまうかもしれないし、誰かに追記や改変されてしまった嘘なのかもしれない。でも、日記を書くということ、気持ちを言葉にするということは、そのこと自体がどこまで本当なんだろうとも思う。この日記が好きでよく読んでいるけど、前後のページへ移動するリンクがなくて不便なので、ページャを表示する ユーザースクリプト を書きました。

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sa」は、いったい誰が書いているのか僕は知らない。文体が似ている「to」と関連があるのかな?と勝手に思っているけれど、この Tumblr にはどこにも説明がないし、誰が書いているのかというのも別に明らかにする必要はないのかもしれない。ただ、誰かが何かと必死に戦っていて、日記を書くことが、気持ちを言葉にすることが、正直な本当の文章を追求することが、もしかすると自分を助けることがあるのかもしれないと、希望を持てるような日記がある。11px の小さい文字のかたまりに、何度も心を揺さぶられてしまう。

撮り続けること、並べること

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フライドポテト記録」は、会社の先輩の @moha_ariyoshi さんが、フライドポテトを食べるたびに撮影している写真を記録した Tumblr。ファーストフード店や居酒屋など、撮影した店の名前も併記されている。白い紙ナプキンの上にフライドポテトが載っている写真が基本だけど、皿の上や手に持っている場合もあり、背景にうつりこんだ食卓や指のマニキュアから、フライドポテトがある風景とか、フライドポテトを食べる @moha_ariyoshi さん自身も同時に記録されている。

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大日本タイポ組合塚田哲也さんの Instagram では、ときおり電車やバスの座席カバーの柄を接写した写真が投稿される。柄のかわいさも楽しいけど、いつもあたりまえに乗っている電車の座席カバーがこんなにも多彩なデザインだったのかということに驚く。

フライドポテトも座席カバーも、日常生活のなかで繰り返し接するモチーフだ。だからつい、どれも同じものとして扱ってしまう。でも、そのディテールはよく見ると繰り返すことのない多彩さを持っている。同じモチーフの写真を撮り続けること、撮った写真を並べて見返すことで、見えるようになるものがある。

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…と思って、僕も #pancakesculpture っていう、ホットケーキを焼いて同じ構図で写真を撮るっていうハッシュタグを作ってみました。焼いたホットケーキが彫刻なんだっていう考え方は、谷口暁彦 さんの酒を飲みながらそこらへんにある日用品を組み合わせて彫刻だと見立てる 飲み会彫刻 から影響を受けました。

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#きょうの太子楼」は、kssk さんが、近所の中華料理屋の軒先にある看板のマスターが手書きで書いた文字を撮影した写真につけているハッシュタグ。かっこいいのはともかく、同じ文字でも日によってかたちが変わったり、時間が経過して文字がこすれて消えていくように見えるのは、Semitransparent Design の tFont のような時間軸を持った書体に見えてくる。先日のコミティアでは、まとめられた本 が頒布されていたらしいです…!(めっちゃ読みたい…!)このプロジェクトのほかにも、駅などの公共空間で公式のサインシステムが機能せず勝手に掲示された手作りのサインをまとめた 野良サイン #norasign も、すばらしいです。

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One Day One Icon」は、アイコンアイドルさんという方が、2011年12月から自分で自分を撮影した写真をアップロードし続けている TumblrTumblr 以前には Twitter で毎日アイコンを変えて公開していました。2012年の1月には、年末に誰でもアップロードできるフォームから投稿されたファイルを zip ファイルに圧縮して正月に配布する「ゴミ福袋」で有名な、インターネットレーベルのつくしレコーズから アイコン画像が100枚入った zip ファイル がリリースされ、現在は「あなたの部屋にいこるが居る」という、部屋の合鍵を借りて住人がいないあいだに自撮り写真を撮影する、派生したプロジェクトも行っているそうです。

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高木みゆ」は、高木みゆさんが自分が写った写真をアップロードしている TumblrVICE に取材されたときのインタビュー を読むと、「とにかくハタチになるのが怖かった」ので、「ハタチになる100日前から1日1本フィルムを撮ろうと決めて。その中から1日1枚を選び出し」た写真のようで、写真に記録されている日付も3年前だということは理解しながらも、定期的に Tumblr へ写真がアップロードされて更新が通知されるたびに、リアルタイムに高木みゆさんの姿を見るような感覚があります。インターネットの写真には、シャッターを切った時間とアップロードした時間という、ふたつの撮影日時があるのかもしれない。

inudaisuki

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inudaisuki」は、僕と同じ会社で働いている福岡の「ゆ」さんと、もう会社を辞めてしまって転職して東京で働いている「み」さんが、お互いの料理の写真をアップロードしている自炊ブログだ。ふたりは同じアカウントでログインして写真を投稿し、そのままお互いの料理にコメントしあっている。だからコメント欄だけを見ていると、どっちがどっちなんだかわからない、多重人格なひとりごとみたいに見える。ID とパスワードを知っているのはひとりだ、ということを前提に設計されているブログのシステムをふたりで利用するためにハックしているわけだけど、そのことを超えてなんだか泣けてくるのは、撮影されている料理がどれもひとりぶんだということだ。東京と福岡の離れた場所で、同じくらいの年齢の女の子たちが、同じようにパスタを茹でて、それぞれがひとりで食べている。そんな写真が毎日のようにアップロードされつづけている。「み」さんのかつての同僚たちがコメント欄に登場するのも切ない。僕は、こんなふうに時間や空間を超えて別々のものが重なって見えてしまうことこそが、インターネットなんだと思う。